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武田信玄人物像

武田晴信/武田信玄 たけだ はるのぶ/たけだ しんげん、大永元年11月3日〔1521年12月1日〕生、元亀4年4月12日〔1573年5月13日〕没 戦国時代の武将・大名で、甲斐国の守護。 河内源氏の傍系・甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家の当主。 「信玄」とは法名で、諱は晴信、通称は太郎(たろう)。 官位は従四位下、大膳大夫。贈従三位。

4月12日、軍を甲斐に引き返す途上の信濃国駒場(長野県下伊那郡阿智村)で病死した。享年53。戒名:法性院機山信玄。菩提寺:山梨県甲州市の恵林寺。

武田信玄は甲斐の守護を代々務めた甲斐源氏武田家の嫡男として生まれ、隣国の信濃に侵攻、上杉謙信と川中島の戦いを行ないつつ勢力を広げて信濃をほぼ平定。甲斐、信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領するが、上洛の途上、三河で病を発し信濃で病没した。越後の上杉謙信と5度にわたって川中島の戦いで干戈を交えたことでも有名。

風林火山の軍旗を用い、甲斐の虎と呼ばれ、率いた武田軍は戦国最強と評される。大正期には従三位を贈られ、今もなお広く人気を集めている戦国武将の一人。

軍旗
其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山(その疾きこと風の如く、その徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し。(孫子に記された言葉。恵林寺の住職快川紹喜の書と伝わる。)

エピソード
武田信玄は、躑躅ヶ崎館に水洗トイレを設置していたが、躑躅ヶ崎館の裏から流れる水を利用した仕組みで、信玄はここを山と言う名称で呼び、用便の他、書斎等にも使っていた。
家臣が「何故、厠(かわや、トイレの事)を山と言うのでしょう?」と尋ねた所、信玄は「山には常に、草木(臭き)が絶えぬから」と機知に富んだ回答をしています。

《武田信玄 画像》
武田信玄(大河ドラマ)画像

なお、このサイトの右上にも武田信玄銅像の画像を使用しています。

生涯の流れ
甲斐国守護→信濃国を平定→川中島の戦い→今川・北条との戦い→甲相同盟→西上→最期

政策
新田開発
金貨の製造
寺社政策

遺言
* 勝頼に対して「自分が死した後は上杉謙信を頼れ。また三年間を喪を秘せ」と言い残したと言われている。
* 重臣の山県昌景に対して、「源四郎、明日は瀬田に(我が武田の)旗を立てよ」と言い残したという。

辞世の句
「大ていは 地に任せて 肌骨好し 紅粉を塗らず 自ら風流」

名言
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」

大河ドラマに描かれた武田信玄
・天と地と(1969年、NHK大河ドラマ、武田信玄:高橋幸治)
・武田信玄(1988年、NHK大河ドラマ、武田信玄:中井貴一)
・風林火山(2007年、NHK大河ドラマ、武田信玄:市川亀治郎)
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